「未来のために」と言われても、どこか他人事のように感じてしまう・・そんな空気が、少しずつ社会に広がってきているように思います。
気候変動の問題、教育の疲弊、科学研究の縮小。どれも本当は、未来のためにこそ守られるべきもののはずなのに、
「いま役に立つの?」という視線で切り捨てられていく。
そこに共通してあるのが、「今だけ」を重視してしまう風潮です。
成果が出るのはずっと先だから・・
たとえば環境政策。脱炭素や自然保護の取り組みは、長い時間をかけて成果が出るものばかりです。
それなのに、「経済効果は?」「何年で回収できるの?」とすぐに問われる。
教育でも同じことが起きています。子どもの考える力や、誰かと協力する力って、数年かけて育つものです。
でも、短期間でのテストの点や偏差値にばかり注目が集まり、現場は「目に見える成果」ばかり求められてしまう。
科学の分野では、基礎研究が切られていきます。すぐには儲からないから。社会実装までに時間がかかるから。
でも、そうやって未来の可能性ごと削られてしまったら、何が残るんだろう・・と思わずにはいられません。
なぜ「今だけ」に偏ってしまうのか
理由はシンプルです。「そのほうが、すぐ成果が見えるから」
政治も企業も教育も、「短期的な成果」を求める仕組みになってしまっていて、“今”に応えないと評価されない。だから、どうしても“今だけ”が優先される。
でもそれって、言い換えれば未来を担保にして、今だけを取り繕っているってことじゃないでしょうか。
未来の損失は、静かに進行している
怖いのは、この損失が見えにくいことです。温暖化も、生態系の変化も、学力の土台の崩れも、科学の空洞化も・・
表面にはなかなか出てこないけれど、じわじわと社会を蝕んでいく。
だからこそ、私たちは“今の目に見えるもの”だけじゃなくて、見えにくい未来の土台にも目を向ける必要があると思うのです。
「未来に応える今」を取り戻すために
私たちは、どうしたって「今」を生きるしかありません。でもだからこそ、「未来に応える今」を生きられるかどうかが問われている気がします。
未来を大事にする社会は、実は“今”も豊かにする。時間をかけて学ぶこと、育てること、見えないものを信じることが、巡り巡って、ちゃんと「いま」を支えてくれる。
短期的な成果も大事です。でもそれだけじゃ、きっと未来は持たない。
次回は「金だけ」が壊す構造へ
次回は、「金だけ」が優先されすぎることによって、社会の制度や信頼がどう歪んでしまうのか・・
その構造を一緒に考えてみたいと思います。
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