ここまで4回にわたって、「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉の奥にある価値観の偏りと、その行き着く先について見つめてきました。
“だけ”にしてしまったから、バランスが崩れた。でも本来、「今」も「金」も「自分」も、大切なものであるはずです。
だから、今も金も自分も否定だけすることもおかしい。今一度、これらの言葉の意味を考えてみましょう。
「今」を生きることは、悪くない
「今だけ」に偏ると、未来をおろそかにしてしまう。
たしかにそうです。
でもだからといって、「今を大事にすること」そのものを否定する必要はありません。今という時間を、誰かとちゃんと分かち合うこと。今日という日を、精一杯生きること。
それは、未来に責任をもつための“入口”でもあるはずです。
むしろ、「今」をていねいに生きられる人のほうが、未来にも誠実になれるのではないでしょうか。
「お金」も、大切な関係資源のひとつ
「金だけ」に頼ると、制度が形骸化し、信頼がすり減っていく。けれど、金銭的な支えがなければ立ちゆかない現実もある。だから大事なのは、「金を出せばいい」ではなく、そのお金が“どんな関係性や未来”を支えるのかに目を向けることだと思います。
ありがとうと言える循環。
届いてほしい人に届く仕組み。
金額よりも、設計と共感。
お金を「冷たいもの」としてではなく、「つながりの媒介」として捉え直すことが、社会の温度を変えていく鍵になるかもしれません。
「自分」を守ることも、守られることも、自然なこと
「自分だけ」を最優先する社会は、結局、自分さえ守れなくなる、これまでの回で、そんな話をしてきました。
でも一方で、「自分を大事にする」ことそのものは、やっぱり大切です。無理して他人のためだけに生きる必要はありません。
自分の感情を大切にしながら、同時に、他人の痛みも「どこかで自分につながっている」と感じられるような社会。それこそが、強くて、やさしくて、しなやかな“共助のかたち”だと思うのです。
“だけ”を超えると、視界がひらける
「今・金・自分」を否定するのではなく、“だけ”をちょっと外してみる。それだけで、社会の見え方が変わってきます。
今に未来を重ねてみる、金の向こうに関係を想像してみる、自分の隣に誰かを置いてみる
それだけで、「ああ、社会ってまだ壊れてないな」と思える瞬間が、たしかにあるのではないでしょうか。
私たちが選べる“もうひとつの態度”
今は変化が恐ろしいほど速い時代です。分断も、正解のなさも、どこか疲れるニュースも、日々あふれています。
そんな中で、「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉に少し違和感を覚えた私たちは、すでに“もうひとつの態度”を選び始めているのかもしれません。
誰かに声をかけてみる
少しだけ立ち止まって考えてみる
見えない誰かを想像して行動する
そうした小さな選択が、社会の流れを、少しずつ変えていくのだと思います。
おわりに:ふたたび希望へ
「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉を通じて考えてきたのは、社会の「批評」ではなく、どうすればバランスを取り戻せるかという「問い直し」でした。
「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉に違和感を持ったその感性を大事にしたい。
今を生き、金を使い、自分を大切にしながら、その外側にも、ちょっと視線をのばしてみる。
そうして生まれる選択と関係性のひとつひとつが、これからの社会を、少しずつやわらかく、そして強くしていくと信じています。
そのどれもが、責められるものではない。でも、「だけ」に閉じないために、何ができるか・・
その問いを、一緒に考えられる社会にしていきたいものです。
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