これまで、私たちは「まちをどう見るか」についてさまざまな角度から考えてきました。
個別と構造、視点の俯瞰、多面的なまなざし、問いを立てる力、そして場をひらく感性。
そうして探究を深めていくうちに、自然と立ち現れてきたもうひとつの視点があります。
それは、「まちを時間軸でとらえる」ということです。
まちは“今ここ”だけでできていない
私たちはふだん、「いま、ここ」で起きている現象に目を向けがちです。
- 商店街が寂れている
- 子どもの数が減っている
- 若者が地域を離れていく
これらはたしかに“今の課題”ですが、この瞬間だけを切り取っても、その背景や構造は見えてきません。まちは、時間の積み重なりの上に成り立っています。何十年、何百年と続いてきた選択と蓄積、その結果としての「今」がある。
だからこそ、私たちは「今だけを見ない」という視点を意識的に持つ必要があるのです。
そして同時に、それを怠れば、まちは無意識のまま“望まぬ未来”へと進んでしまうかもしれません。
過去を見ず、短期的な視点だけで判断を繰り返せば、10年後、20年後に「こんなはずじゃなかった」という結果を招きかねないのです。
“未来志向”であるためには、むしろ“過去”も大切にすることが前提になる──そんな逆説が、今求められているのだと思います。
時間軸を持つと、見えてくるもの
時間軸を意識してまちを見ると、いろんな景色が変わって見えてきます。
- 現象の“根”が見える
今起きていることが、どんな歴史や制度、文化に支えられてきたかがわかる。 - 単線的なストーリーではなく、分岐や揺らぎが見える
まちは一本道ではなく、選ばれなかった選択肢や、小さな揺れ動きの集積でできていることがわかる。 - 未来への“連続性”が見えてくる
今の選択が、10年後、50年後にどう響くかを想像できる。
時間のレイヤーを重ねることで、まちは単なる「場所」から「物語のフィールド」へと姿を変えます。
「いま」も、「かつて」も、「これから」も、まちの一部
たとえば、ある場所にある古いお堂。それは単なる建築物ではありません。
- かつて誰かが「ここに建てよう」と思った意思
- 何世代にもわたって守ってきた人たちの手
- いま、それを見つめる私たちの視線
- そして、未来にそれを残そうとするかどうかの選択
これらすべてが、一本の時間のなかでつながっています。「いま起きていること」も、「かつて起きたこと」も、「これから起こるかもしれないこと」も、全部がまちの物語の一部なのです。
未来を想像するために、過去をたどる
まちづくりというと、「これからをどうするか」という議論になりがちです。もちろん、それはとても大切な問いです。でも、未来を本当に豊かに描くためには、いったん過去にさかのぼって、そのまちがどんな歩みを重ねてきたかをたどる必要があります。
- どんな価値観が、まちを形づくってきたのか
- どんな選択が、いまの課題を生んだのか
- どんな声が、どんな沈黙が、そこにあったのか
過去をたどることは、単なるノスタルジーではありません。未来を考えるための「素材」を集める作業です。もし、過去の積み重ねを知らずに「新しさ」だけを追えば、地域に根づいてきた暗黙の知恵や、人のつながりの機微を失ってしまうかもしれません。まちは、無数の判断が折り重なってできた“選択の集積”です。
ここで注意したいのは、「過去を大切にする」ということは、決して過去にとらわれることではないという点です。
形だけを守るのではなく、その中に込められていた意味や意志を読み直すことで、私たちは未来へ向けて価値あるものを継承していけるのだと思います。
小さな時間軸の読み取りから始める
とはいえ、いきなり「何十年スパンでまちを見る」というのは、なかなかハードルが高いもの。
私たちはこんなところから始めています。
- イベントひとつにしても、「去年はどうだった?」「5年前はどんなふうに?」とたどってみる
- 地域の祭りの変遷を聞く
- 空き家になった家の「かつての暮らし」を想像してみる
- 自治体の広報誌や議会の議事録を10年前から読み返してみる
小さな過去に目を向けるだけでも、いま見えている「課題」や「風景」の意味が、すこし違って見えてきます。
時間をともに編むまちづくりへ
まちは、「いま」を積み重ねてできています。けれど、いまだけを見ていたら、本当の意味でまちと向き合うことはできません。
かつてを知り、これからを想像しながら、いまこの瞬間の選択を、時間のなかに置いてみる。
そしてそれは、単に過去を振り返ることではなく、未来にとっての“失敗を未然に防ぐ力”でもあるのです。
時間軸を無視した意思決定がもたらすゆがみ──それは、あとから取り返そうとしても遅いことがあるのです
だからこそ今、時間を味方にするまちづくりへと、踏み出していく必要があります。
「連続性」と「断絶」をどう受け止めるか
まちは時間のなかで変わり続けています。でもそのすべてが、ただ連続しているわけではありません。
失われるものもあれば、更新されるものもある。
では、何を引き継ぎ、どこで編み直すのか。変わるものと、変わらないものをどう見極めていくのか。
次回は、「まちにおける変化と継承の見取り図」について、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
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