「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉を、最近よく耳にするようになりました。
便利で、わかりやすくて、ちょっと刺さる。だけど、どこか苦くて、虚しさも感じさせる言葉です。
実はこれ、単なる批判のスローガンじゃないと思うんです。
私たち自身の中にある“思考の偏り”を、ぐっとえぐり出すような鋭さがある。
「今・金・自分」は、誰の中にもある
たとえば・・
日々の忙しさに追われて、目の前のことばかりに気を取られる。
将来が不安で、とにかくお金のことを優先してしまう。
社会のことも気になるけど、まずは自分の生活で精一杯。
そんな感覚、誰しも一度は持ったことがあるんじゃないでしょうか。
責める気なんてまったくないし、むしろ人間らしい反応だとも思います。
でも、それが「だけ」になってしまうと、つまり、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」ってなると、社会のバランスがどんどん崩れていく。
この言葉の出どころ
実はこの言葉、東京大学の鈴木宣弘教授が食料や農業、そして国の安全保障を考える中で繰り返し使ってきたものです。鈴木先生はこう言います。
「命を守るための仕組みよりも、目先の利益を優先する政策が続けば、やがて国民生活そのものが脅かされる」
このフレーズ、最初は農業や貿易の話で出てきたものかもしれません。でも気づけば、社会のあちこちに当てはまってしまうようになっている気がするのです。
なぜ、このフレーズが刺さるのか?
日本は、高度経済成長を経て、そろそろ「成熟社会」になってもいい頃のはずです。
それなのに、いまだに「短期的な成果」「金銭的な評価」「個人の利益」が最優先されてる。ちょっとヘンじゃないか?と思うこと、ありませんか?
企業は四半期の業績に追われ、政治は次の選挙ばかりを見て、教育も“成果主義”の空気が濃くなっている。
そんな中で、「未来」や「関係性」や「質」よりも、「今」「金」「自分」がデフォルトになってしまった。
「だけ」が問題なんです
もちろん、「今」を大事にすることも、「お金」も、「自分」を守ることも、どれも大切です。それ自体を否定する気はまったくありません。
でも、それ“だけ”になったとき、社会の根っこが揺らぎ始める。
他の視点が見えにくくなって、未来や誰かとのつながりが後回しになってしまう。
それが積もり積もって、今のいろんな問題につながってる気がします。
バランスを取り戻すために
「今だけ、金だけ、自分だけ」。
この言葉を改めて掘り下げてみるのには、今の日本社会だからこそ意味があると思っています。
たとえば・・
「今だけ」に偏ると、未来が犠牲になる。
「金だけ」に傾けば、制度の信頼が失われる。
「自分だけ」が強まれば、他者とのつながりが切れてしまう。
そういったバランスの崩れを、一つずつ見つめ直してみたい。
その先に、もっと持続可能で、人と人がちゃんと支え合える社会が見えてくるかもしれないから。
次回から「今だけ、金だけ、自分だけ」を次のような流れで掘り下げていきます
- 第2回:「今だけ」が未来を削る──環境、教育、科学の視点から
- 第3回:「金だけ」が社会を壊す──再分配・制度設計の不在と分断の構造
- 第4回:「自分だけ」では続かない──共助・公共性・地域との関係性
- 第5回:「今・金・自分」を再び肯定するために──“だけ”を超える社会へ
目指すのは、誰かを責めることじゃなくて、「本当はどうしたいんだっけ?」っていう問いを、一緒に考えること。
まずはこの言葉に込められた意味を、ゆっくり見つめ直すところから始めてみたいと思います。
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