「守ること」と「変えないこと」って、本当に同じでしょうか?
地域の行事や制度、文化や人とのつながり・・
私たちが「継承」と呼んで大切にしていることの中には、実はたくさんの“問い”が眠っている気がします。
「続けること」が目的になってしまうとき
地域でよく聞く言葉があります。
「とりあえず例年通りやりましょうか」
「これは昔からこうやってるので……」
もちろん、それが全部悪いということではありません。
でもときどき、こうした“例年通り”が、むしろその活動を続けにくくしているように思えることもあります。
たとえば、行事の本来の意味が伝わらず、若い人が「なぜやってるのかよくわからない」と感じてしまったり。
なんとなく“やることになってるから”で回してしまうことで、形だけが残り、中身が抜け落ちていく・・そんな場面にも、少なからず出会ってきました。
「こうあるべきだ論」が生む閉塞感
そしてもうひとつ、地域の継承の場において問題となっているのが、意味を持たない「こうあるべきだ論」の空気感です。
- 「若いんだから手伝うのは当然」
- 「地域のためにやるのが当たり前」
- 「昔はもっとちゃんとしていた」
そんな“無言のルール”や“察しの文化”が、新しい担い手の芽をくじいてしまうこともあります。
とくに若い世代にとっては、理由が見えないまま押し付けられる“正しさ”ほど、息苦しいものはありません。それが、地域に戻らない/関わらないという選択を後押ししてしまっている可能性もあるのではないでしょうか。
形式を守るだけで問いを失った継承は、いつしか“閉じた場所”になってしまう。そう感じることが、少なからずあります。
「問い」がなくなると、継承は弱くなる
では、どうすれば継承が“生きたもの”になるのでしょうか?
私たちは、そこに必要なのが「問い続ける姿勢」だと思っています。
「これって、なぜ続けてきたんだろう?」
「今のやり方って、本来の目的に合ってるのかな?」
「昔はこうだったけど、今はどうあるといい?」
こうした問いを立てることは、伝統や習慣を否定することではなく、むしろ大切に残すための“再確認”です。
「続ける」ために、「問い直す」。それって、一見逆のことのようでいて、実はすごくつながっている気がします。
「かたち」より「意味」を受け継ぐ
継承って、本当は“かたち”じゃなくて“意味”を引き継ぐことなんだと思います。
どんな願いや思いが込められてきたのか。誰のためのしくみだったのか。時代とともにどう変わってきたのか。
そういうことに目を向けると、自然と新しい継ぎ方が見えてくる気がします。
たとえば──
- 担い手不足の祭りを、子どもたちも参加しやすい形に変えてみる
- 長く使われなかった公民館を、地域のカフェや学びの場にリニューアルする
- 会議のあり方を見直して、みんなが本音を話せるように工夫する
どれも、“ただ続ける”のではなく、問い直しながら、今に合うかたちに編みなおしていくという実践です。
問い続けることが、「守る」につながる
継承は、ただ維持することではありません。大切なのは、何をどう守るかを、自分たちで考え続けること。
何のために残すのか。今のままでいいのか。次の世代にもちゃんと伝わるのか。
そう問い続けることで、私たちは“変わらないために変わる”ことができる。
変化に流されすぎず、でも固まらず、柔らかく対応していく。
その姿勢こそが、本当の意味で「守る」ということなんじゃないかと思います。
「意味をつなぐ」継承のあり方へ
継承するか、刷新するか。変えるか、変えないか。
そのどちらかを選ぶのではなく、「意味を問いながら、かたちを編みなおす」という選び方。
問い続けることで、継承は“いまに息づくもの”になります。
そして、若い世代や外からの関わりしろも、そこに自然と生まれていくはずです。
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