4月16日の『社会課題の複雑さは「どこから見るか」でほどけはじめる 〜俯瞰する力の必要性〜』から8回にわたり“課題を視る”というテーマでお話ししてきました。
「見る」ではなく「視る」とは、表面をなぞるだけでなく、その奥にある揺らぎやつながりに目を凝らし、本質を見極めようとするまなざしのあり方。
「視る」という漢字には、「単に目に入るのではなく、注意深く、意識的に観察する」という意味があります。
これはすなわち、表面的な現象だけでなく、その背後にある構造や関係性、価値観の揺らぎにまで目を向け、ものごとの本質を見極めようとする行為にほかなりません。
この“課題を視る”という試みは、「社会課題をどう見るか?」という根本的な問いから始まりました。
複雑で多層的な課題に向き合うとき、私たちが求められているのは、「正解」を出すことではなく、それらをどう見立て、どう関わるかということではないか・・そんな思いが出発点でした。
そして、回を重ねるごとに、その問いはより具体的な風景へと焦点を結んでいきます。
人口減少に悩む地域という“まち”の姿にフォーカスすることで、私たちは課題を視るという行為を、より地に足のついたものとして考えてきました。
社会構造や価値観のほつれといった抽象的なテーマは、まちの風景、人びとの声、日々の営みと重なりながら、現実として立ち上がってくる。
そうした過程そのものが、「視る」という行為の実践であったといえるのかもしれません。
この連載で一貫していたものは、「視る」という営みそのもの。
以下に、この連載を通じて育んできた“視る”のためのまなざしの技法をまとめました。
- 木を見る(個別の現象に寄り添う)
- 森を見る(構造や背景に目を向ける)
- 森の周囲まで見る(枠の外側や前提条件にも目を向ける)
- 多面的に見る(異なる立場からの風景を重ねる)
- 解像度を上げる(抽象と具体を往復する)
- 時間軸で見る(継承と更新の見取り図を描く)
- 視座を上げる(時間と空間の広がりをとらえる)
- 自分を見つめる(メタ認知によって視点そのものを問い直す)
- 問いの視点を持つ(対話を生む起点を見出す)
- 感性で視る(数値化できないものに目を向ける)
こうして整理してみると、私たちはずっと「どう視るか」を問い続けてきたのだと、あらためて気づきます。
視点を変えると、問いが変わる
問いが変わると、関係性が変わる
一見、当たり前のようで、深く実践するのは難しいこの連関。「視る」ということは、現象の“正体”だけでなく、自分の“前提”まで疑うということです。そのプロセスを経ることで、問いが変わり、関係性が編み直され、少しずつ、行動やまちの風景が変わっていく。
この連載は、その小さな往復運動をずっと紡いできたのかもしれません。
「視る」は終わらない
これで“課題を視る”という連載は一区切りとなります。けれど、「視る」という営みは、これからも私たちの足元を照らし続けてくれるはずです。
世界は、見方ひとつでまったく違う顔を見せてくれる。そして、その見方は、経験と対話、そして問いによって育まれていく。
この連載が、読んでくださった方にとって、何かを見つめなおすきっかけになっていたら、それ以上の喜びはありません。
次回は「変えたくないもののために、変わらなければならない」
次回は、「変えたくないもののために、変わらなければならない」という視点をめぐって考えていきます。
人口減少という避けがたい現実のなかで、まちは、望むと望まざるとにかかわらず、変化を迫られています。
けれど、すべてを変えればいいというわけではありません。まちとは、何を残し、何を編み直すべきものなのか?
変わらないために、変わる。続けるために、問い直す。
そんな逆説のまなざしを携えて、これからのまちづくりの核心に、もう一歩深く踏み込んでいきます。
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