コレマデ/コレカラの5月の話し手は、安曇野市在住の増田望三郎さん。池田町の小さなカフェに増田さんのコレマデとコレカラを聞きたい方が多く集いました。
「ずっと、自分の国をつくりたかったんです」
その言葉に、場の空気がすっと変わった気がしました。
誰かの人生が“物語”として語られるとき、そこには、世界の見え方を少しだけ変えてしまう力が宿る。
5月の「コレマデ/コレカラ」の話し手は、「安曇野地球宿」を営みながら、農業も実践し、安曇野市議会議員としても活動している、増田望三郎さん。
「暮らしを耕し、まちに根ざし、制度の内側に飛び込んでいく」、そんな実践を重ねてきた方の語りは、どこまでも具体的で、けれど、どこか哲学的でもありました。
コレマデ──「思想」と「現実」のあいだで、暮らしの根を探しつづけた日々
大分県に生まれ、高校時代から「仲間といるのが好きだった」と語る増田さんは、大学では法学部に進学しますが、どこか馴染めず、自分の居場所を見出せずにいました。
転機は、一人でアメリカを旅したこと。安宿を転々としながら、「なんでも見てやろう」と飛び込んだ異国の地で、自分の小ささと、世界の広さを同時に知ったと言います。
帰国後、大学の掲示板で目にした「1枚のポスター」が、次の扉を開きます。全国から大学生が集まる場。そこには、言葉よりも先に熱があった。そういえば、幼い頃から「自分の国をつくりたい」と思っていたことを、思い出した・・
大学は“保険”だったような気がしていたし、どこかで虚勢を張っていた。そんな自分の内面と正面から向き合ったのが、20歳で飛び込んだ「自給自足のコミュニティ」。3,000人規模のコミューンでの生活は食も、仕事も、人との関係も、すべてが“共有”で成り立つ日々。
「何にも頼らずに生きていきたかったんです」
けれど、10年が経ち、30歳を迎えたとき、ふと「これはひとつの箱庭なのでは」と気づきます。思想が肥大しすぎて、現実から乖離しているような感覚。自分がどう生きたいかよりも、「組織がどうあるべきか」が先に来る。そんな価値観に、限界を感じたのだと言います。
結婚を機にコミューンを離れ、東京へ。引越しのアルバイトやツアーコンダクターなどを経験しながら、都市での暮らしに身を置きます。けれど「電車通勤が、自分の意思と反して、連れていかれる感じがしていた」という感覚は、次の一歩を促しました。
「自分が食べるものを、自分で作ろう」、そして宿をやろう。
それが、安曇野地球宿のはじまりでした。
安曇野地球宿という場から次々に誰かの物語が始まる
意外にも「安曇野地球宿プロジェクト」は安曇野に移住する前に東京からスタートしたそうです。
その後、実際に安曇野へと移住した増田さんは地域で眠っていた古い家を借り、部屋の一室を開放する農家民宿としてスタート。
いまの地球宿の拠点を手に入れるまで、4年かかったそうです。
そして現在、地球宿は、「暮らしと挑戦のベース基地」として、また「小さな社会の実験場」として、少しずつかたちを変えながら動きつづけています。
今年からは、住み込みのスタッフを1人から3人に拡充。週3日勤務にし、週4日は「余白」としてそれぞれがやりたいことを探す仕組みへ。指示されて動くのではなく、問いから動く。「この場所を“踏み台”として、次の挑戦へ向かっていってほしい」と語ります。
それは、宿というよりも「地球食堂」のような場へと変化しています。ただ泊まるだけの場所ではなく、暮らしを伝え合う場、対話を育てる場。収益を得ることだけが目的ではなく、自分の考えや気持ちを交わすための土台として、宿のかたちは進化しています。
議員という立場から見える「できること」と「できないと思い込まされてきたこと」
そしてもう一つの軸、それが「市議会議員」としての活動です。現在、3期12年目。
「議員は、条例をつくることができる。政策提言ができる。けれど、多くの議員が“自分たちにはできない”と思ってしまっている」と増田さんは語ります。
2期目の頃、議員提案で条例をつくろうとしたとき、他の議員たちから「それは行政の仕事だ」と突き返されたことがあったそうです。3期目では議長選にも立候補し、「議会から政策をつくる」という意思表示をしました。
いまも、「子どもの権利条例」を議員有志の発議で提案するべく奔走中。
「校則は、誰が決めたのか分からないのに“守れ”と言われる。こどもは声を持っているはずなのに、それを知らされていない」。
その根本にあるのは、“理念”の不在です。権利とは、制度の話ではなく、生き方の話。理念に触れたとき、私たちは初めて「別の世界もある」と気づくのかもしれません。
安曇野でギャップイヤーのプログラムを、問いのある人生を支える仕組みづくりを提供したい
「高校や大学を卒業してすぐに社会へ出るのではなく、そのあいだに“間”が必要なんじゃないか」。
そんな想いから、増田さんは「安曇野を舞台にしたギャップイヤーのプログラム」を構想しています。
それは、社会経験を通じて「自分は何をしたいのか」「どんな社会をつくりたいのか」を見つける旅。地球宿をベースに、フリースクールや多様な人々との関わりを通じて、自分の足で歩きはじめる準備の時間を提供したい・・
「人と向き合うことは、簡単なことではない」。
それでも、対話と実践を通して人を受け入れ、支え合う場所をつくりたい。そう語る増田さんのまなざしは、どこまでもやわらかく、そして力強く感じられました。
理念は“遠く”にあるのではなく、いまこの手の中にある
安曇野という土地で、宿を開き、田を耕し、制度に飛び込み、若者を受け入れる。
それらすべての営みの奥にあるのは、「自分で決めて生きる」ことの大切さでした。
理念に触れたとき、目から鱗が落ちる瞬間がある。けれど、その理念は、どこか遠くにあるわけではない。
すでにこの手の中にあるのだと、増田さんの語りから教わった気がする夜でした。
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